キライなもの

不満や不平を言わずに溜め込んでいると、気付かないうちに不健康になっていることがある。

自分は小さいころから、感情の振れ幅が大きい人間が多くて諍いの絶えない環境にいたおかげで、自分には「事なかれ主義」がすっかり定着した。おかげで声を荒げる人間がいても吃驚することなくのほほんとしていられたり、相手の言葉の勢いがどれだけ強くても平静でいられるようになった。いちいち相手の感情に振り回されていたらたまらないからだ。相手がどれだけ悲観的でいようが、不安がっていようが、どれだけ怒りに震えていようが、自分が同じ気持ちになっていたらただ疲れてしまうだけだ。小さい頃にあれこれあった結果、自分には感情を荒げない癖がついた。

ただ、感情を前面に出さない生き方というのは、人間として歪んでいる。弊害なんていくつもある。

マイナスの感情を外に出さないということは、生まれたそのもやもやは自分の中にしまわれることになる。いつまでもそれをしまっておくと、それはそのうち腐っていく。腐ったそれらは、やがて異臭を放ち始める。それも吸収限界が来ると、ある日それが暴発することもある。ろくなことがない。「感情のコントロール」などとは、表面上は似ていても実際には非なるものだ。

問題は自分だけではない、相手にもある。怒ってばかりの人間を相手にするのは疲れるものだが、かといって、怒らないだけの人間を相手にしていても実際にはわりと疲れるものだ。話していても怒ることがないものだから、なにかその人にとって良くないことをしてしまったとしてもそれに気付くことができない。相手は実は怒っているけれどそれが表層に表れないのだからわかるはずがない。しかも、いつか知らないうちに限界がきて、急に怒り出す可能性も捨てきれないのだ。自分も過去に友人から「お前の怒るポイントがわからない」と言われたことがある。