誰もが幸せを願う話

目まぐるしく変わる人間社会のなかで、人はだいたいの欲求を満たせるようになってきている。周りは食べるものであふれ、着るものには困らず、雨風をしのげる家もある。

 

けれど、人間は貪欲なもので、生きていく上で必要十分なものが満たされていたとしても満足することがない。それが人間の求める第3の社会的欲求だ。

 

誰もが幸せでありたいと願って生きている。

流行りの服があればそこに飛び付き、有名ミュージシャンが一世を風靡すればライブへいくことがイコール幸せということになり、人気者のところへ我先にと押し寄せ、能力を持った人間に固執し、誰かに依存して、あるいは誰か彼かに振り回されて生きている。幸せというのが、社会や人から与えられるものだと、本気でそう考えている人間もいる。

 

冗談じゃない。

 

自分の生き方が、誰かによって決められることほど嫌なことはない。どんな環境で生きていくにしろ、自分で決めてこその人生だということに間違いはない。幸せは自分で探すものであり、誰かに「これが君の幸せだよ」などと決められては堪らない。

 

けれど、幸せというのが、もはや何なのかわからなくなってきている。最新のゲームを買って、周りと楽しめたら幸せか?お得に買い物ができたら幸せか? 好きな人と一緒に過ごせることが幸せか? 地位を築いていろんな人に慕われるのが幸せか? なにか、自分が履き違えているような気がしてならない。

 

幸せって、いったいどんなことをいうんだろう。